峠は越えたものの、なぜかスッキリとしません。
母の表情はうつろです。こちらの呼びかけには応じるものの、話すことをしません。
できないのかな?薬がきついのか、目がトロ〜ンとしてしんどそうです。
それでも、徐々に回復に向かい、車椅子での移動もできるようになりました。
肺の炎症もほぼ完治し、レントゲンからも影が消えました。
一般病棟より、療養病棟へと移動です。
気分的にも安堵感が生まれ、ホッと一息です。
しかし、脳内出血以来約1年間の闘病生活、きつい薬浸けの毎日のお陰で、
母の身体は相当蝕まれていたことでしょう。
もう一度元気になって、我家へ帰してあげたい、そして生まれ故郷の喜界島へ帰省させてあげたい、
そんなことを思いながら、時が過ぎて行きました。
入院以来、流動食だったのですが、ある日突然車椅子に座って一般食を口にすることになったのです。
やっと口から物を運べるくらい回復したんだと本来なら喜ぶべきことですが、どう見ても無理がありました。
座っているのが苦しそうで、食事も無理やり流し込んでいる感じです。
どこの病院も介護施設も、良かれと思いそうしているのでしょうが、少し強引すぎると思います。
スタッフの方からすれば、何十人の中の一人にしか過ぎませんから、そんなこと言ってられないという気持ちかもしれませんが、
私からすれば、この世に一人しかいない母親です。もう少しデリケートな状況判断はできないものかと寂しい気持ちになりました。
でも、自分が看護師や介護員になって、他人のお世話ができるかと問われると、イエスと答える自信はありません。
まして何十人もの患者や要介護者を相手に世話をするんですから、そんな贅沢は言えるわけがありません。
ではどうすればいいのか。家族が看るしかないと思います。でも現実は難しい。
だからこのサイトを立ち上げ皆さんと一緒に考えたかったのです。
母はこの後、再び肺炎を引き起こします。
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危篤状態〜主治医からの宣告。親族召集